三国祭総合案内

三国祭保存振興会の山車 平成22年
六番山車 三国祭保存振興会 加藤清正(かとうきよまさ)

 山車の会製作

 安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、肥後熊本、初代藩主である加藤清正を奉納します。
豊臣秀吉の家臣として仕え、「賤ヶ岳 七本槍」の一人である清正が文禄の役で朝鮮出兵のときの虎退治は有名です。近くの山にすむ虎が馬ばかりか清正の小姓まで食い殺してしまい、怒った清正が十文字槍で突き殺したと言われています。この時、槍の鎌が虎に食い折られて片槍(片鎌槍)になり清正のシンボルになりました。
山車人形製作は、三国保存振興会(山車の会)が製作して今年で10体目になりました。山車人形製作に興味のある方を募集しています。

三国祭保存振興会の山車 平成21年
六番山車 三国祭保存振興会 牛若丸(うしわかまる)

 山車の会製作

 今回奉納される山車人形は、京は五条大橋、弁慶との初めての出会い、横笛を吹きながら弁慶の長刀をかわしヒラリと身軽に跳びはねる青年牛若丸です。
 肩からは幅2m丈3mの着物を羽織り背中から裾にかけ、三國神社の随身門が描かれています。前からだけでなく後ろからも御覧下さい。
 又、子供の囃し方も三国町内、福井市の子供達が頑張っています。
 今回も山車人形製作は、三国祭保存振興会(山車の会)が製作しました。山車人形作りに興味のある方を募集しています。

岩崎区山車

三国祭保存振興会の山車 平成20年
飾り山車「暫」しばらく

 山車の会製作

 今回山車の会が製作しました山車人形は、高さ9mに達する大きな人形であります。従来は高さは電線や電話線に規制され、約6.5mが最大であります。
 明治の中頃には10m以上もある山車もあり、近郷の村々から勇壮な武者人形の頭が見えたと言われています。山車の会も一度大きな山車人形に挑戦しようと実践いたしました。山車収納庫も6.5m迄の高さしか収納できず、特別な方法として支柱に2連式はしごをだきあわせ、伸縮できるよう発案山車収納庫内では上半身だけの人形で、外に出して伸ばすと足が取り付けられるようにしました。
 初めての試みで、うまく作動するか試行錯誤を繰り返し、やっと完成にこぎつけました。
 これからも新しい事、新しい人形製作に挑戦していきますので、ご支援をお願いいたします。また、新会員も募集中であります。興味のある方、ご連絡お待ちしています。

暫(頭)

暫(胴体)

三国祭保存振興会の山車 平成19年
六番山車 継体大王(けいたいだいおう)

 山車の会製作

 平成19年の山車は、三國神社の祭神である継体天皇(男大迹王・おおどのおう)が、西暦507年に樟葉宮(くずのはのみや/大阪府枚方市)で天皇に即位されてから、今年で1500年になることを記念して三国祭保存振興会が奉納するものです。

 男大迹王の生誕地は近江国高島郡三尾(滋賀県高島市)で、応神天皇5世の孫の彦主人王を父とし、三国坂井郡高向(たかむく/坂井市)の垂仁天皇7世の孫といわれる振媛(ふりひめ)を母として誕生したといわれています。父彦主人王が若くして亡くなったため、母振媛は親戚の少ない高島の地では男大迹王を養育できないとして、振媛の故郷である三国坂井郡高向(坂井市)に帰って養育したと伝えられています。

 なお、三国祭保存振興会の山車屋台は文政元年(1818年)に制作されたもので、人形は山車の会(山車人形制作研究会)が制作を担当しています。

継体大王山車人形づくり(頭)
継体大王山車人形づくり(手)
継体大王山車人形づくり(胴体)

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