三国祭総合案内

平成24年(2012年)の山車をご紹介致します。
各山車をクリックすると詳細がご覧になれます。

●奉納山車

壱番山車(四日市区)新田義貞

弐番山車(大門区)大天狗

三番山車(上西区)源義家

四番山車(滝本区)鏡獅子(白髪)

五番山車(下錦区)真柄十郎左衛門直隆

六番山車(上台区)結城秀康

三国祭りの様子

●飾り展示山車

 (区)        (展示場所)  (山車人形)
 森町区        森町区格納庫  「暫」           21年度奉納
 岩崎区        岩崎区格納庫  「直江兼続」        23年度奉納
 松ヶ下区       松ヶ下区格納庫 「加藤清正」        22年度奉納
 平野区(上ハ町区)  上ハ町格納庫  「柴田勝家公とお市の方」  21年度奉納

●20日までのご案内/20日中日祭の山車勢揃い・催し物のご案内

いままでの三国祭山車紹介はこちらへ >>

壱番山車 四日市区 新田義貞(にったよしさだ)
 人形師 岩堀耕治製作

 当区は三国神社のお膝元にあり森町区・岩崎区と三区で山車当番を受け持ち三年毎の山車巡行をおこなっています。
 当区の山車(屋台)についての確かな記録等は見あたらないが明治初期に白木造りで作成し、その後昭和54年に高覧を取替え漆塗りをおこないました。
 また、記録によれば明治期には最大で二丈六尺の人形を奉納したことがあり、戦前戦後をへて当区は一番山車で今日に至っています。
 当区の山車人形の武者は『新田義貞「奮戦」』です。
 武者人形については前回(平成21年)南北朝時代の武将『新田義貞「出陣」』を奉納しましたので、本年は出陣後の「新田義貞公」が奮戦をしている状況を想定し奉納致します。
 新田義貞公は鎌倉幕府末期から南北朝時代にかけての武将です。
 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の命により足利尊氏追討に向かい越前燈明寺畷(現:福井市燈明寺)で奮戦し、壮烈なる戦死を遂げました。
 また、本年は当区の山車格納庫新築から9年を経たため不便な点や老朽化した箇所の改修を行いました。
 当区をお通りの際は、山車屋台ともどもご覧ください。

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弐番山車 大門区  大天狗(おおてんぐ)
 自主製作

 山車人形作りは大門協会、婦人会が中心となって製作活動を行っております。今回の山車で13基で39年継続しております。今年の山車は大天狗で想像上の怪物であり、姿は人間に似て深山に住み鼻が高く赤い顔をし、自由に空中を飛ぶと云う仮空の物であります。
 昨年3月11日東日本大震災が発生し大変な被害を受けました。又、世界を見渡しても異状気象で大きな災害が続けて発生しています。この様な状況を打破する為「大天狗」様に登場してもらい悪い困志を退治してもらい平穏な日々に戻してもらいたい気持ちで製作いたしました。
 当区の山車人形製作は、本来の武者人形製作からはずして特異な人形製作に努めてきました。過去には丹下左膳、孫悟空、犬夜叉等々を作り好評を受けてきております。

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三番山車 上西区 源義家(みなもとのよしいえ)
 人形師 岩堀耕治製作

 源義家(みなもとのよしいえ)通称 八幡太郎
 1039〜1106、平安後期の武将。頼義の長男。母は平の直方の娘。通称は八幡太郎。後(ご)三年の役(1083〜87)を鎮圧、また東国における源氏の基礎を築いた。前(ぜん)九年の役(1051〜62)のとき父に従って奥州(東北地方)におもむき、安倍頼時およびその子・貞任(さだとう)・宗任(むねとう)らと戦っててがらをたてた。乱後、その功により出羽の守となり、のち大江匡房(おおえのまさふさ)について兵法を学んだ。1083年(永保3年)鎮守府将軍兼陸奥の守となり奥州の後三年の役を鎮圧した。朝廷では、この乱を私闘とみて行賞をしなかったため、私財をもって東国の武士たちの功に報い信望を高めた。そのため主従関係を結ぶものが多く、東国を源氏の地盤とする基礎をきずいた。1098年(承徳2年しょうとく)には武士として初めて院への昇殿を許された。八幡太郎という通称は、父頼義が氏神(うじがみ)である石清水(いわしみず)八幡宮に参拝し、神のお告げを得た月に、妻が義家を懐妊し、義家が7歳のとき、石清水八幡宮で元服の式をあげたからだと伝えられている。

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四番山車 滝本区  鏡獅子(白髪)(かがみじし・はくはつ)
 人形師 岩堀耕治製作

 明治4年(1871)丸岡藩滝谷村が福井藩三国湊と合併し坂井港と称する事になります。
 これを機会に三国祭の山車巡行も滝谷村を通ることになり、滝谷3区(現在)は明治5年(1872)から5年間続けて山車巡行に加わり三国龍翔館の資料によれば、明治26年(1893)滝本町として奉納したのが始まりで今年で24回目の奉納となります。
 現在の山車(屋台)は大正10年(1921)に井田一洞斉によって製作されたものと古文書に記されており、戦後昭和25年(1950)から三国四の部10町内(区)で共有し、責任を持って毎年巡行しております。
 今年の山車人形は、多くの希望があって鏡獅子(白髪、歌舞伎踊り)当区としては、初めての歌舞伎人形となります。

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五番山車 下錦区  真柄十郎左衛門直隆(まがらじゅうろうざえもんなおたか)
 人形師 岩堀耕治製作

 「真柄十郎左衛門・直隆」(1536年〜1570年)は、一乗谷城主「朝倉義景」の客将として、現・越前市上真柄の徳間垣内に館を構えていました。
(館跡に石祠が、又、宮谷町興徳寺には「十郎左衛門」のお墓があります。)
 朝倉家中でも武勇に優れた人物で、戦国の世で一番大きな太刀を振るった希代の豪傑とされ、合戦場では、黒鹿毛の馬に跨り、越前の刀匠・千代鶴の作による五尺三寸もの「太刀」を振り回し異彩を放って、暴れまくったといわれています。
 江戸初期成立の[朝倉始末期]にある逸話が有名で、1568年に、のちの将軍「足利義明」を一条谷に迎え開かれた宴の余興で、8人がかりで運んだ刃渡り9尺5寸(2.9m)の「太郎太刀」と6人がかりの「次郎太刀」を左右の手に持って振り回し、一同の度肝を抜いたと記されています。
 「太郎太刀」は現在、名古屋の熱田神宮に奉納されています。
 1570年「姉川の合戦で戦死」するも、「姉川合戦戦国屏風」にその勇姿が描かれており、又、徳川側の史料「当代記」には「太刀剛者、大太刀で無類に働く」とあり、豪傑ぶりを今に伝えています。

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六番山車 上台区 結城秀康(ゆうきひでやす)
 人形師 岩堀耕治製作

 結城秀康は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。越前国北ノ庄藩(福井藩)初代藩主。越前松平家宗家初代。
 徳川家康の次男として1574年に生まれ、1584年に豊臣秀吉の養子として差し出される。その後秀吉に実子鶴松が誕生すると、さらに養子に出された。今度は北関東の名家である、結城家に婿養子として入り、結城領11万1000石を継ぐ。関ヶ原の戦い後、秀康は家康から、越前国北ノ庄(福井)67万石に加増移封された。
 秀康の武将としての器量は一流で周囲からも認められており、武勇抜群、剛毅で体躯もよかったといわれている。

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20日までのご案内

●渡り初め(わたりぞめ)…1・2・3・4・6番山車 5月12日(土)
             5番山車 5月5日(土)

●山車展示日…5月15日(火)〜17日(木)10:00〜16:00

20日中日祭の山車勢揃い・催し物のご案内(イベントは雨天中止)

●神殿にておこなわれる儀式
  12:00 … 神輿・山車発幸祭(神社総務・各総責任者・山車区長及び青年団長によって行う)

●神社前
  12:30 … 山車6基が神社前通りにて勢揃い
  12:30 … 子ども囃子方競演
  13:00 … 壱番山車を先頭に巡行に出発
        巡行順位は(1)壱番山車の四日市区(2)弐番山車の大門区
        (3)武者行列(4)小神輿(5)大神輿(6)参番山車の上西区
        (7)四番山車の滝本区(8)五番山車の下錦区
        (9)六番山車の上台区

●駅前
  16:00〜18:00頃 … 壱番山車を先頭に、山車6基・武者行列・2基の神輿が到着し、
         クライマックスを迎えます。

 *山車巡行の関係で若干時間が変更になる場合がございます。
 *詳細は、平成24年(2012年)の巡行マップをご覧下さい。

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