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	<title>三国湊魅力づくりプロジェクト！ &#187; Hanaちゃんのみくにな理由</title>
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		<title>vol.5 長谷川啓治さん</title>
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		<pubDate>Thu, 03 Mar 2005 03:00:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hanaちゃん</dc:creator>
				<category><![CDATA[Hanaちゃんのみくにな理由]]></category>
		<category><![CDATA[よみもの]]></category>

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		<description><![CDATA[三国生まれの三国育ち。両親に「自分の資産は自ら作るもの・・」と育てられた長谷川さんは、中学時代から必死でアルバイトを始め、大学卒業時には1000万円以上の貯金を貯めたという強者。その資金を元に卒業と同時に隣町の春江町で土 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="block">
<p class="floatLeft"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-3177" title="hana_hito05_01" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_01-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></p>
<p>三国生まれの三国育ち。両親に「自分の資産は自ら作るもの・・」と育てられた長谷川さんは、中学時代から必死でアルバイトを始め、大学卒業時には1000万円以上の貯金を貯めたという強者。その資金を元に卒業と同時に隣町の春江町で土地を購入し、若干22歳にして2000万円の借金をしてアパートを建てたのだそう!「それがスタートだったかな。」と振り返る長谷川さん。その後、北陸最大手の不動産関連会社に入社し2年後に独立し、25歳という若さで現在の株式会社西陣を設立します。そして30歳という節目にいくつかの目標を定め、目標を達成できなかったらやめようという覚悟で5年間必死で働き、いまの会社を創り上げた実業家なのです。</p>
</div>
<div class="wrapper">
<div class="floatRight">
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3178" title="hana_hito05_10" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_10.jpg" alt="" width="300" height="426" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3179" title="hana_hito05_12" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_12.jpg" alt="" width="300" height="208" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3180" title="hana_hito05_05" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_05.jpg" alt="" width="300" height="205" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3181" title="hana_hito05_04" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_04.jpg" alt="" width="300" height="210" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3182" title="hana_hito05_07" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_07.jpg" alt="" width="300" height="296" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3183" title="hana_hito05_06" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_06.jpg" alt="" width="300" height="300" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3184" title="hana_hito05_08" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_08.jpg" alt="" width="300" height="298" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3185" title="hana_hito05_09" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_09.jpg" alt="" width="300" height="312" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3186" title="hana_hito05_02" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_02.jpg" alt="" width="300" height="273" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3187" title="hana_hito05_03" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_03.jpg" alt="" width="300" height="168" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3188" title="hana_hito05_11" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/03/hana_hito05_11.jpg" alt="" width="300" height="206" /></p>
</div>
<div class="text">
<p>「JC(青年会議所)に育てられた、という部分が大きいんですよ。」とさらり。<br />25歳、会社の設立と同時に地元のJCに入会し、様々な人達と出会います。その出会いが長谷川さんの人生に大きな財産を築いてくれたのだそう。JCでは組織と人間学を学びながら世界中にブレーンを広めました。入会まもなく日本JCに出向し、一年目は世界の各国から代表者を日本に集め意識改革のセミナーを開催し、なんと翌年にはニューヨークの国連本部を貸切りモデル青年国連の立上げ実行部隊として携わり、世界を見ることになるのです。<br /> あまりの素晴らしい経歴に、思わず言葉を失うほど!すごい、こんなにすごい人が三国町にいたなんて!!</p>
<p>「人間は何でも出来てしまう素晴らしい動物なんですよ。“絶対にやる”と決めたことは必ず成し遂げることが出来る。大切なのは“絶対にやり遂げる”と自分の意思で決意することなんです。」<br /> そう語る長谷川さんは働き盛りの43歳。これまでJCの幹部に就任してきた他、まちづくりやPTA関連でも様々な役職に就いています。何やら今年の春からは裁判所(非常勤)でも活躍することに。その視野は日本、いや世界を見つめているのです。</p>
<p>けれど大切なのは自分の足下。三国で生まれ育ち「三国が一番好き!三国を大好きと思う人たちと、地元で生きていきたい!」という思いから、再び地元JCに活躍の場を移します。その後、三国商工会の若者たちと共に、三国祭で7番目の山車(本来は6基のみ)を出したり、三国町の女性ミュージシャンらと三国節をアレンジした音楽・ダンスを生み出しました。その踊りや音楽は、今では三国町内の各小学校で踊られるほか、三国町民体育祭で毎年披露されます。その時にボーカルとして登場するのも長谷川さんの役割。実はこれだけ多忙にも関わらず、ずっとバンドを持ちボーカルとしても活躍しているという顔も持っているのです!</p>
<p>その他にも北前船で栄えた三國湊を題材にした演劇の俳優を勤めるなど、とにかく多忙!そのたびに三国の歴史や文化に触れ、それを学び一つずつ前に進んでいく。そうして愛する故郷・三国を盛り上げている立役者でもあるのです。<br /> そして忘れてならないのが1997年に起きた“ナホトカ号重油流失事故”。突然日本海を襲った重油事故は、三国町の海も真っ黒に染めていきました。ナホトカ号から流れ出た大量の重油。三国町は全国でも一番被害がひどく、向こう何年も海は蘇らないだろうと、地元の人々も諦めていたのです。その海を美しく蘇らせた立役者もまた、長谷川さんでした。</p>
<p>1997年1月、ちょうど長谷川さんが三国芦原金津JCの理事長に就任した直後にあの事故は起こりました。途方に暮れる地元の人々。全国から続々と押し寄せるボランティア。自分に何が出来るだろうと考えていた長谷川さんのもとに、JCの仲間から「JCとして何かできないか?」と連絡。その時、「そうだ、組織として出来る役割があるのではないか。」と気が付いたといいます。JCとして重油除去対策本部をすぐさま設置。するとそこへ阪神淡路大震災で活躍した元気村の山田氏から「ボランティアのコーディネーターになるべきだ」という提案を受けハッとしたそう。その時、荒れた海を前にして数多くのボランティアは一斉に、それぞれが個々バラバラに、油をすくう作業のみをしている状態でした。<br /> 今でこそ、ボランティアにも様々な役割があることが認知されるようになってきましたが、当時はまだそれも浸透していない頃。全国からは本当に多数のボランティアが訪れたものの、収拾が付かない状態。そこでボランティアセンターを設置し、初日からボランティアのコーディネートに専念します。先ず机を並べ、最初に受付した人から「貴方のボランティアは受付です!」とバケツを手に並んだ人を順番にスタッフにしていったそうです。重油回収作業の他、炊き出しや物資担当、インターネットで発信する為のメディアルーム、波が荒れた日に重油回収中止を呼びかけるパトロール隊など、ボランティアの役割を分担させて責任者を作っていったのです。</p>
<p>大好きな三国、大好きな美しい地元の海が黒く汚れ、その時のショックは大きかったと言います。三国はもう駄目なのではないか、当初、そんな想いが長谷川さんの脳裏にも、ちらついたのだそう。けれど「俺が諦めたら駄目だ!」と気を引き締め、自分の出来ることを冷静な目で判断し動いていったのです。<br /> 必要な物が思うように揃わない、ボランティアと地元のトラブル、休日で人は大勢集まるが悪天候にて作業中止・・・など問題は山積み。それを一つずつクリアしていく日々が続きました。その中で長谷川さんは、思いの違うボランティアの心を一つにしたいとスローガンを募集します。</p>
<p><strong>“よみがえれ、日本海!”</strong></p>
<p>選ばれたこのスローガンは、様々な人の心の支えになりました。こうして全国各地から訪れた数多くのボランティアに支えられ、三国の海は少しずつ蘇っていきます。数年かかるだろうと言われた作業は3か月で終了し、その活躍は三国町だけでなく全国の知るところとなり、平成12年にはNHKの人気番組「プロジェクトX」でも取り上げられました。こうして三国の海は今日も美しく光り輝いています。</p>
<p>その後の長谷川さんはというと…。慶応大や久留米大を始めとする学校関係や各県の防災センターや環境団体等から呼ばれ全国へ「それぞれ個人・組織・企業・行政として出来ること、すべき事があるのでは?」と提案に廻っているそうです。また相変わらず地元でも精力的に活躍中!事故の一年後、海を見てみると折角全国の暖かい心により蘇ったにも関わらず、今度はゴミで海が汚れている。この事実を知るやいなや、JCの仲間とゴミを拾い集め、流木アート『海からの贈物』としてリサイクルショップで販売。その他、当プロジェクトでも取り組んでいる海藻を使った“荒磯染め”を広める活動にも取り組んでいます。今後は三国の自然を生かした街づくりに取り組んでいきたいのだそう。</p>
<p>「よみがえれ、日本海!」この言葉には、海をきれいにするだけでなく北前船で栄えた三國湊の活気を蘇らせたいという長谷川さんの想いが込められています。これからの三国がもっと面白くなることに期待したいと同時に、その動向に目を離せない強者が長谷川さんだという気がします。そんな長谷川さんですが、海を眺める目がとっても優しいのが印象的でした。</p>
</div>
</div>
<div class="block-color">
<p><strong>長谷川啓治(はせがわけいじ)さんプロフィール</strong></p>
<p>1961年三国町で生まれる。<br />福井工業大学卒業後、建設・不動産関連会社に入社。2年後に独立し、株式会社西陣設立、代表取締役、現在にいたる。三国・芦原・金津青年会議所理事長、日本青年会議所コンサルティング部会監事などを歴任。<br />三国湊魅力づくりプロジェクト実行委員会常任理事、みくに歴史を生かすまちづくり推進協議会理事、三国町PTA連会長・坂井地区PTA連会長・福井県PTA連副会長・日本PTA全国協議会評議員を兼任、福井県宅建協会理事など、現在も多岐に渡り活躍中。<br />1997年に起こったナホトカ号重油流失事故では、全国から集まったボランティアをまとめるコーディネーターとして活躍し、2000年にはNHKの人気番組「プロジェクトX」にも出演。</p>
</div>
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		<title>vol.4 近藤克子さん</title>
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		<pubDate>Tue, 18 Jan 2005 02:37:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hanaちゃん</dc:creator>
				<category><![CDATA[Hanaちゃんのみくにな理由]]></category>
		<category><![CDATA[よみもの]]></category>

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			<content:encoded><![CDATA[
<div class="block">
<p class="floatLeft"><img class="size-thumbnail wp-image-3162 alignnone" title="hana_hito04_01" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_01-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></p>
<p>北前船の時代から船具、麻縄等を扱い、昭和6年に専売公社ができるまで煙草元売捌所として三国湊に集められた煙草を一手に福井県北部に卸していた、創業200年の「近藤吉郎平商店」。この商家5代目当主の趣味がこうじて始めたお店が「近藤古美術」です。幕末に建てられたという店舗に並ぶのは、三国箪笥を始めとした逸品。5代目当主亡き後、その意志を引き継ぎ、仕入れ・買い付けから販売までをこなすのが、奥様の近藤克子さん。幕末の佇まいを残すお店で、数々の骨董品に囲まれながら、骨董のこと、文化財のこと、そしてご主人との思い出について伺いました。</p>
</div>
<div class="wrapper">
<div class="floatRight">
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3165" title="hana_hito04_09" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_09.jpg" alt="" width="300" height="400" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3166" title="hana_hito04_08" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_08.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3167" title="hana_hito04_07" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_07.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3168" title="hana_hito04_11" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_11.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3169" title="hana_hito04_02" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_02.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3170" title="hana_hito04_04" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_04.jpg" alt="" width="300" height="400" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3171" title="hana_hito04_05" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_05.jpg" alt="" width="300" height="400" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3172" title="hana_hito04_03" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2005/01/hana_hito04_03.jpg" alt="" width="300" height="400" /></p>
</div>
<div class="text">
<h4>きっかけは、蔵の整理から</h4>
<p>創業200年を誇る商家・近藤家には、もともと数多くの古いものが残されていました。4代目当主が亡くなったのを機に夫婦で蔵の中を整理してみると、出て来たのは様々な骨董品。これらは一体いつ、どのようにして使われていたのだろう?調べてみよう、ということで、夫婦で美術館や骨董商に出かけたのがきっかけでした。その頃は価値もまだよく分からず、捨ててしまったものも。『勿体ないことをしてしまった、もっと良い物を集めよう』と思い立ち、趣味として骨董を集め始めました。そのうちにどんどん人や物が集まってくるようになったので展示空間を設け、やがて自然と商売になったのだそう。</p>
<p>『まさか商売にするとは夢にも思わなかった。』<br /> これは、生前のご主人の言葉。「ミイラとりがミイラになったんですね。」と、笑いながら昔を振り返る克子さん。こうして、骨董品を求めて全国各地を夫婦で回る生活が始まりました。夫婦どちらも江戸時代に建てられた家で生まれ、古い物に囲まれて育ってきた者同士。2人にとって骨董商は、自然な流れだったのかもしれません。<br /> 以来、どこへ行くにも一緒だったというご夫婦。どちらかが感動した逸品は、もう片方も同じように感動していた、なんてこともしばしば。周囲からは「貴方達は2人で1人だね。」と言われるほど、いつも一緒に行動を共にしていたご夫婦でした。</p>
<h4>主人が残してくれた仕事</h4>
<p>3年ほど前のある日、ご主人が克子さんに尋ねました。<br />「おまえは、わしがいなくなっても、この商売をするんか?」<br /> 突然の質問に驚きながらも、「出来たらやっていきたいわ。」と答えた克子さん。するとご主人は、こう続けました。<br />「それなら、誰彼に売る為に買うのではなく、自分が欲しいと思う物を買うんだよ。そうすれば売れなかった時でも、「なんで売れ残っているんだろう。」と思わなくてすむ。そう思ったら皿にも失礼だろう。自分が気に入ったものなら、いつまでお店に残っていても、気にならないからな。」<br /> この言葉の2?3日後、ご主人は急遽。時が経つにつれ、あれが遺言と思うようになりました。それ以来、今度は克子さんが中心となって、お店を続けているのです。</p>
<p>以前は、骨董オークションで競り落とすのはご主人の役目。けれど20余年、横でご主人の競りをずっと見て来た克子さんには、オークションの術が既に身についていました。<br /> 買い付けの際に迷った時は、お仏壇に手を合わせ、ご主人に相談します。そうすると、「買え!買え!」とか「やめておけ」とか、ご主人の声が聞こえてくるのだそう。「自分で、自問自答するんですよ。主人が生きてたら、どうするかな?ということを考えると、分かるんです。」<br /> 亡くなった今も、ご主人は克子さんの心の中でずっと生き続け、いまでも“2人で1人”ということに変わりは有りません。<br />「今でも、主人を忍んで多くの人が訪ねてくれる。主人が私に、この仕事を残してくれたんです。」</p>
<p>亡くなる5年前から、体を患っていたご主人。それでも元気に全国を駆け回る人でした。“こだわり”が強く、頑固な人でした。商品が一個でも売れると、お店全体のバランスが変わってしまうと言っては、頻繁に模様替えをする人でした。その度「そんなに変えなくても、一緒よ。」と眉をひそめていた克子さん。けれど今、気がつけば自分も同じように模様替えをしています。昨年末、格子戸を入り口に取り付けた時もそう。三国の街を駆け巡り、家にあう格子戸を調べあげ、気になって夜中に飛び起き自ら図面を描き、翌朝大工さんに手渡してしまうほど。床板の色が気になると、自分で塗ってしまうことも。それほどの“こだわり”が、いつしか自分の中に芽生えていたのです。家族は周囲の人は、そんな克子さんを見てご主人のことも思い出します。まるで、2人が1人になったように…。<br />「主人だったら、こうするんじゃないかな、というのが、常に頭の中にあります。」</p>
<h4>三国の文化を三国に残しておきたい</h4>
<p>「常にいいものを買うように、努力しています。買うよりも、皆が来て集まって、楽しめる雰囲気づくりをしていきたい。」<br /> 今もなお、ご主人と共に歩んでいる克子さん。店の裏には水琴窟のある中庭があり、その奥にある天保13年建の蔵を資料室として解放しています。ここでは、三国箪笥を中心に名工の技が光る箪笥の数々を展示。「三国の貴重な文化を流出させてはいけない。三国に置いておかなければ。」と、ご主人と2人で壁や床を塗り、作り上げた空間です。これほど貴重でな三国箪笥を大切に保存し、ずらりと並べた空間は他にありません。心が落ち着き、暖かくなる空間です。<br />「買えなくても、時々遊びに来ていいですか?」<br />その素晴らしさに感動して思わず尋ねると、快く頷いて下さいました。三国の歴史と同時に、ご夫婦の愛に感動した素敵な取材となりました。</p>
</div>
</div>
<div class="block-color">
<p><strong>近藤克子(こんどうかつこ)さんプロフィール</strong></p>
<p>骨董店「近藤古美術」を、近藤家5代目当主であるご主人と共に立ち上げ、ご主人亡き後、意志を引き継ぎお店を切り盛りしている。今でも1ヶ月に5回ほど骨董オークションや買い付けの為に全国各地を回り、鋭い目利きと感性で逸品を仕入れ続けている。</p>
</div>
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		<title>vol.3 長沼慶江さん</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Dec 2004 08:09:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hanaちゃん</dc:creator>
				<category><![CDATA[Hanaちゃんのみくにな理由]]></category>
		<category><![CDATA[よみもの]]></category>

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		<description><![CDATA[趣のある古い町並みが今もなお残っている三国町。格子戸からはチラチラと光が漏れ、ただ歩いているだけで風情を感じる、それがこの湊町の魅力のひとつ。そんな町並みを歩いていると、どこからともなく「チントンシャン、チントンシャン」 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
<div class="block">
<p class="floatLeft"><img class="alignnone size-thumbnail wp-image-3147" title="hana_hito03_01" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/12/hana_hito03_01-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></p>
<p>趣のある古い町並みが今もなお残っている三国町。格子戸からはチラチラと光が漏れ、ただ歩いているだけで風情を感じる、それがこの湊町の魅力のひとつ。そんな町並みを歩いていると、どこからともなく「チントンシャン、チントンシャン」という音色が聞こえてきます。その素敵な音色に誘われて歩いていくと、辿り着くのは長唄・三味線教室。三国の町で、40年以上三味線の音色を響かせているその人は、長沼さん。お師匠さんとして三国町内外に教室を持ち三味線や長唄を教える一方で、各地で演奏会も行っています。三国の粋な風情にはかかせない長沼師匠のところに、今回はお邪魔しました。</p>
</div>
<div class="wrapper">
<div class="floatRight">
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3148" title="hana_hito03_02" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/12/hana_hito03_02.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
</div>
<div class="text">
<p>三味線を始めたのは、20代の頃。結婚後に三国の下町で暮らし始めてから、どこからともなく聞こえてくる三味線の音色に魅かれていたのだそう。そもそも三国町は、北前船文化で栄えた湊町。芸者が芸事を習う稽古場(検番:けんばん)があり、格式の高い芸者衆を抱えた町としても有名でした。色町の名残がまだ色濃く残っていた当時、町には三味線の音色が時おり流れ、それを耳にしていたのです。そんなある日、近所で三味線を手放すという芸者さんがいて、もともと幼い頃から楽器が好きだったという長沼さんはそれを譲り受け、三味線を習い始めました。</p>
<p>結婚し嫁いだ先は商売を営む家だったので、家の仕事で忙しい毎日。そのため、お昼の一時間を利用して習う日々。やがて名取となり、「芳村竹世志」として活動するに至ります。何を極めるにしろ、その過程で誰もが一度はスランプを味わうもの。けれど長沼さんには、そういう時はありませんでした。根っから三味線が好きで、弾き続けることを苦と思ったことは一度もないのだとか。そして徐々にお弟子さんも増えていきました。</p>
<p>50代の頃、家の商売をやめてゆっくり過ごすことになった時、長沼さんの働く意欲は消えませんでした。そしてブライダルの仕事を始め、10年後に退職。その頃はすでにお弟子さんは7・8人でしたが、まるで退職を皆が待っていたかのようにお弟子さんの数は一気に増えたのだそう。そうして本格的に三味線を教え始めて、今ではお弟子さんも30?40人!</p>
<p>「昔は60代の方が多かったけれど、今は20?30代の方が多いんですよ。」 　粋な三味線の音色に魅かれ、若い人が増えたと言います。 「今の世の中は『洋』の楽器が多いけれど、日本の原点や癒しを三味線の音色に感じるのじゃないかしら。」<br /> その言葉に思わず大きく納得。かくいう私も、三国の町を歩いていて三味線の音色にうっとりした経験があるのだもの。そして、『三国って、なんて風情のある素敵な町なんだろう』と感動した覚えがあります。その話を伝えると、驚くことに、その音色も長沼さんが奏でたものだということがわかりました!きゃ?!すごい!</p>
<p>「三国は、北前船による文化が残した湊町。芸者が歩き、旦那衆がいて、色町があった。その風情を残していきたい。若い人たちに三味線を教えながら、三国の文化を伝えていきたいんですよ。」 　そう語る言葉とおり、私も知らずしらずのうちに長沼さんの三味線の音色に誘われ、三国町に魅かれていったうちの一人。まさに、三国の風情を語るには外せない方です。</p>
<p><span style="font-weight: normal;"><strong>♪春の夜に　雪がちらちら降るわいな<br /></strong></span><span style="font-weight: normal;"><strong>雪じゃござんせぬ<br /></strong></span><span style="font-weight: normal;"><strong>あれは　お庭の　こぼれ梅♪</strong></span></p>
<p>これは取材中、長沼さんが教えてくれた江戸小唄の一つ。本当に粋!ため息が出ちゃいます。長沼さんは、実は東京生まれ。江戸っ子の血が三国の湊町と調和して、こんな粋な雰囲気を醸し出しているのかもしれません。</p>
<p>そんな長沼さんの夢は、自宅の入り口を古風な格子戸風に直し、奥のお稽古場から三味の音に合わせて粋な小唄・都々逸が聞こえてくる風情ある町屋へと蘇らせること。前の通りを歩いていく人がすっと立ち寄れるような空間にして、昔の資料を置き、入り口には「竹世志」と筆の入った暖簾を掲げて…。 それを聞いて、思わず「実現させてください!」と興奮してしまいました。そして夢を語る師匠を前にしていたら、そういう夢を持ち続けることそのものが粋というものではないのだろうか、と感じました。三国は粋な心が生きている町だなぁ、と感動したhanaちゃんでした。</p>
</div>
<div class="block-color">
<p><strong><strong>長沼慶江(ながぬまよしえ)さん</strong>プロフィール</strong></p>
<p>三味線歴40余年。芦原、三国の芸者衆稽古場で三味線に魅せられたのがきっかけとなり、本格的に修行を始めた。長唄・三味線で芳村伊十七に師事、昭和48年には人間国宝の故・芳村伊十郎から芸名「芳村竹世志」を授与。また、芸者出身の歌手市丸に師事し、江戸小唄の指導を受けた経験も。現在は三国を拠点に県内各地で教室を開き、ボランティア活動にも積極的に取り組んでいる。市町村選抜県民文化祭をはじめ県内各種イベントに参加する一方、「江戸の恋は粋かいな」と題した年一回の発表会や三国町の料亭「魚志楼」で定期演奏会「江戸小唄ライブ」など、幅広く活動している。</p>
</div>
</div>
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		<title>vol.2 大西忠夫さん</title>
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		<pubDate>Mon, 22 Nov 2004 06:19:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hanaちゃん</dc:creator>
				<category><![CDATA[Hanaちゃんのみくにな理由]]></category>
		<category><![CDATA[よみもの]]></category>

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		<description><![CDATA[三国町の海沿いの道を北に向かい車を走らせていくと、見事なまでの美しい松林に出会います。今年の台風で折れてしまった木もあるけれど、それでもやっぱり美しい松の木。その松に囲まれながら更に車を走らせると、松林の間から海に向かっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[
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<p class="floatLeft"><img class="aligncenter size-thumbnail wp-image-3119" title="hana_hito02_02" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2010/11/hana_hito02_02-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></p>
<p>三国町の海沿いの道を北に向かい車を走らせていくと、見事なまでの美しい松林に出会います。今年の台風で折れてしまった木もあるけれど、それでもやっぱり美しい松の木。その松に囲まれながら更に車を走らせると、松林の間から海に向かってひょっこり顔を出すように喫茶店がありました。ここは、観光客はもとより、地元の海の男たちが集う喫茶店。そこで今、大西忠夫さんのボトルシップ展が開かれています。この個展を見るために、地元の人々が次々と足を伸ばしているという噂。大西忠夫さんはどんな人?ボトルシップって何?ということで、数々の作品に囲まれながらインタビューして来ました!</p>
</div>
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<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3120" title="hana_hito02_01" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2010/11/hana_hito02_01.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3135" title="hana_hito02_04" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito02_04.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3136" title="hana_hito02_05" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito02_05.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3137" title="hana_hito02_03" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito02_03.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="alignnone size-full wp-image-3139" title="hana_hito02_07" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito02_07.jpg" alt="" width="300" height="190" /></p>
</div>
<div class="text">
<p>喫茶店のドアを開けると、色とりどりの小さな船がガラス瓶に入ってお出迎え。そう、ボトルシップとは、ガラス瓶の中に船の模型が入っている、あの不思議な作品です。店内に飾られた作品数はなんと100点以上!その数に圧倒されながら一つ一つをじっくり見ると、その精巧な作りに驚きました。一体どんな人がこの作品を、しかもこれ程までにたくさん作ったのだろう。緊張の面持ちで待っていると、大西さんがニコニコと笑いながらやってきました。</p>
<p>大西さんは、地元である三国町安島地区に生まれ、15歳の頃から30年間、遠洋航路の大きな船舶の乗組員として働いてきました。船では乗組員たちの命を預かる賄夫、つまり船の料理人として働いていたそう。そして45歳で退職後、最後に乗っていた船舶「あらすか丸」から名前をつけた「あらすか」というお店を地元で開き、いまも海の幸を中心に料理に腕を振るっています。その方がボトルシップの制作者。ん?ボトルシップと料理人?そしてこれらの作品は、乗組員だった当事作っていたもので、船以外では、つまり陸地では一つも作ったことがないそう。ん?まずは、船乗りだった当事の話をお聞きしなければ!</p>
<p>短くても4ヶ月、長ければ10ヶ月もの間、船の中だけで生活する遠洋航路乗組員の暮らし。それは毎日が気持ちとの戦いの日々でした。外の景色を見ても、見えるのは海ばかり。新聞もテレビもラジオもなく、顔を合わせるのはいつもと同じ船乗り仲間。休日があっても外に出かけられるわけじゃなく、本ばかり読む毎日。外国の港についても、その国のあちこちを歩き回れるわけじゃない。妻や子供たちとも離れ離れとなり、恋しい想いは募る日々。無事に航路を終えて家族の元に帰りたいという願い。「海に生きる」ために味わう辛さ。限られた空間で続く生活の中で、ある日、大西さんは同じ乗組員仲間がボトルシップを作っているのを目にします。「暇もあったし、やってみようかな。」と、軽い気持ちで始めたのがボトルシップ作りでした。</p>
<p>見よう見まねでボトルシップを作り始めたのは27?28歳の頃。ボトルシップとは約200年前に、西洋の水夫が長い航海の中で、船で手に入る限られた材料で様々な細工物を作り、飲み干した酒瓶に入れたのが始まりと言われています。その作り方は仲間から仲間へ、船から船へと伝えられ、大正初期に日本の船員にも伝わりました。日本で普及した作り方は、分割した各部品を瓶の中で組み立てる「組み立て法」。けれど大西さんの作品は、船を完成させた後、マストを倒し瓶の中で再びマストを引き起こすという外国の「引き起こし法」です。つまり、見よう見まねで始めた大西さんのボトルシップ作りは、いつの間にかオリジナル技法を習得した作品作りとなっていったのです。</p>
<p>「まずはのぉ、瓶の確保が大変やったんや。」 お酒を飲まない大西さんにとって、大変だったのは透明なガラス酒瓶を手に入れることだったそう。当時はサントリーの“ダルマ”が流行った高度成長期。あの黒瓶ではボトルシップは作れません。そこでニッカのウィスキーを用意し、仲間に勧めることから始まりました。そして材料集めも重要。船の帆(マスト)は船内にあるウエスなどのボロギレを用い、船の模型は船内に落ちている木のかけら。帆を張る支柱は爪楊枝や竹串。そして木や布にペンキを塗りペーパーで磨き、瓶の中へと入れていきます。けれどペンキを塗り重ねる回数が一度でも増えると、ペンキの厚みで瓶の口に入らなくなってしまう。それほどデリケートな作品作り。道具ももちろん、船の中にあるもので済ませます。 針金の先にカッター刃を取り付け、瓶の中に静かに入れながら、糸の位置を一本一本確かめながら切っていくという細かい作業。初めはあまりの細かさに、糸の色を色分けして作り始めたというほど。一本一メートルもの糸が何本も瓶の中で絡み合うのだから、大変です。 「船の中ではな、海がしけている日は食事の時でも濡れた布をテーブルに敷く。それほど大変なんや。」</p>
<p>けれどあまりの細かさゆえ、海が荒れている日や気持ちが苛々している時は、完成間近でも失敗してしまいます。その苛々から、瓶を床に叩きつけて割ってしまうことも。そう、ボトルシップ作りは、気持ちが穏やかでないと作れないものなのです。一つ製作するのに、一週間?10日間かかるボトルシップ。多いときでは一ヶ月で6作品も製作するまでになり、気がつけば10年以上の歳月をかけて、合計300点余り制作したのだそう!すごい!それほどまでに細かい作品を作り続けたのは、やはり海の上での生活だったからこそ。</p>
<p>「気持ちのバランスを取るっちゅうんかな。それに完成した時の感動がうれしかったからな。」 ずらりと並ぶ作品を見ていると、そのカラフルさにも驚かされます。初めは赤白から作り始めたボトルシップも、いつの間にか赤青黄紫緑黒と、その色数も増えました。例えば、ロサンゼルス航路の時は青色が多いとか、オーストラリア航路の時は赤色が多いとか、航路によって色の傾向ってあるのかしら? 「そりゃ、あるやろうの。ロサンゼルス航路の時は、ほとんど作れんのや。海が荒れているからな。」 う?ん。さすが海の男の言葉!</p>
<p>これだけの数を作ってきた大西さんも、航海を終え家に戻っている間は、一個たりとも作ったことがないのだそう。なぜなら家に帰れば奥さんも子供もいるから。だから船乗りの仕事を終えてからは、一個も作ったことがありません。それがこうして個展を開くようになったのは、この喫茶店に昔プレゼントしたボトルシップがきっかけでした。</p>
<p>三国在住のアーティストの女性がそのボトルシップを見てあまりの作品の出来栄えに驚き、それで個展を開くことになったのです。船を下りて15年もの間、自宅だけに飾ってあったボトルシップは、数えてみれば100以上の数が残っていました。そして、この個展には三国町に住む同級生や昔の友達も数多く訪れています。そして、みなが一様に感動して帰っていく。それは単に友達の個展というものを超えた何かがありました。</p>
<p>訪れた人には、自分の息子もいま船乗りをしているという同級生の方や、自分も元遠洋航路の船乗りだったというおじさまや、父や親戚が船乗りだったという人なども少なくありません。大西さんが海にいた頃、この安島地区の九割もの男性が同じく船乗りとして働いていたそう。その半数ほどの人が、一度はボトルシップ制作にトライした経験を持っているというのです。それ以外にも、航路中お祝いだといって、大西さんが仲間に贈ったボトルシップを今もなお大切に持っている人は少なくありません。そう、このボトルシップ展は大西さんの想いだけでなく、三国の海のそばで生きる男の人、そして大切な夫や父を待つ家族にとっても思い入れの深い作品だったのです。</p>
<p>大西さんの作品には、三国に生きる海の男の気持ちがいっぱい詰まっています。そして、60歳にして初めて自分の個展を開いた大西さん。 「店に飾ってもらってよかったなぁ。これは、お金では買えない自分の財産や。人間の付き合いを大切にして、一人一人に感謝する。それが俺なりのやり方かなぁ。」</p>
<p>少し照れながら笑う大西さんの後ろには、ボトルシップが同じように笑顔でたたずんでいるように見えました。これが、海の男のロマンなんだ。そう感じると、なんだか気持ちが熱くなってきます。そして窓の向こうには、海がきらきらと輝いていました。これが、本当の、海の男の気持ち。そして、それを取り巻く多くの人の気持ち。30年間海で生きてきた男の集約が、この個展に詰まっているように思えます。またしても、三国の男たちの魅力に触れてしまった。そ?んなことを感じながら、インタビュー後はやはり海へとお散歩に向かったhanaちゃんでした。</p>
</div>
</div>
<div class="block-color">
<p><strong><strong>大西忠夫(おおにしただお)</strong>さんプロフィール</strong></p>
<p>1944年生まれ。三国町安島在住。<br />30年間遠洋航路の船員を勤め、退職後、地元である三国町安島地区で“会席料理「あらすか」を開き、今に至る。現在、喫茶「アメリカン」にて、船員当事に制作していたボトルシップ約100点を並べた個展を開いている。<br />大西忠夫　ボトルシップ展　[場所:喫茶アメリカン、期間:11/13～12/14]。</p>
</div>
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		<title>vol.1 松村忠祀さん</title>
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		<pubDate>Sun, 07 Nov 2004 04:50:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Hanaちゃん</dc:creator>
				<category><![CDATA[Hanaちゃんのみくにな理由]]></category>
		<category><![CDATA[よみもの]]></category>

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		<description><![CDATA[粋な和服姿にオシャレな帽子、トレードマークの黒い眼鏡の奥にあるのは優しい笑顔。国内であろうと海外であろうと、その素敵なスタイルを崩すことなくパワフルに飛び回る松村さんは、三国の海に浮かぶ雄島を代々守る大湊神社の宮司であり [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="block">
<p class="floatLeft"><img class="aligncenter size-thumbnail wp-image-3088" title="hana_hito01_04_face" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_04_face-150x150.jpg" alt="" width="150" height="150" /></p>
<p>粋な和服姿にオシャレな帽子、トレードマークの黒い眼鏡の奥にあるのは優しい笑顔。国内であろうと海外であろうと、その素敵なスタイルを崩すことなくパワフルに飛び回る松村さんは、三国の海に浮かぶ雄島を代々守る大湊神社の宮司であり、福井市美術館館長という顔も持つアートプロデューサー。その個性溢れるユニークなお人柄の原点にあるのは、三国の海や雄島の豊かな自然たち。ならば、三国を知るには、まずはこの人に会わなければ!ということで、第一回目は松村さんにお話を伺ってきました。</p>
</div>
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<div class="floatRight">
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3090" title="hana_hito01_08" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_08.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3091" title="hana_hito01_07" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_07.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3092" title="hana_hito01_10" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_10.jpg" alt="" width="300" height="400" /></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3093" title="hana_hito01_09" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_09.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3094" title="hana_hito01_01" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_01.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3095" title="hana_hito01_03" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_03.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3096" title="hana_hito01_02" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_02.jpg" alt="" width="300" height="225" /></p>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-3097" title="hana_hito01_11" src="http://mikuni-minato.jp/wordpress-pj/wp-content/uploads/2004/11/hana_hito01_11.jpg" alt="" width="300" height="400" /></p>
</div>
<div class="text">
<h4>海から名付けられた「げんたつミュージアム」</h4>
<p>　爽やかな潮風が吹く秋晴れの朝、向かったのは海のすぐそばにある大湊神社。社務所であり自宅である家に着くと、やはりいつもの和服スタイルで出迎えてくれました。きゃあステキ☆そして玄関上に目をやると、飛び込んできたのは「げんたつギャラリー」という文字。そう、なんと自宅がギャラリーになっているのです!神主である一方で、福井のアートシーンを引っ張ってきた第一人者の松村さんならでは。ご自宅に作ったギャラリーにお邪魔しました。</p>
<p>　“げんたつミュージアム”の“げんたつ”とは、海の沖合にある瀬の名前。魚がたくさん穫れる漁場から名付けたのだそう。西の窓から東の窓へと海風が流れてくる吹き抜け空間のイメージは、げんたつの海。囲炉裏を囲むようにして飾られたコレクションは、まるで海をスイスイと泳ぐ魚のように見えてきます。 古いものを残したいと、築200年近い家を生かして改装された和の空間は、居心地良さ抜群!そこに飾られているのは、ゴヤ、ルオー、ピカソ、小野忠弘、森山大道などなど、そうそうたる作品ばかり!す、すごい!すごすぎて、よく分かんなくなるくらいすごい!そしてもっとスゴイのは、その作品の下に添えられている「すごい」「なるほど」「うまい」という言葉たち。普通なら、作家や作品名を揚げるもの。それを省きあえて記された言葉には、誰もが分かりやすく作品を楽しめるようにという想いが込められています。形式にとらわれない松村さん独特のスタイルに、あっという間に魅せられちゃいました。でも、そもそも神主でありながら美術に携わるようになったのはなぜ?</p>
<h4>「“今”を考えなければ。いまを、現代をとらえていきたい。」</h4>
<p>　その答えは、松村さんの人生観にありました。書を頼まれると「日々」と書き、講演も過去のことは語らない、『今』のことを語ると言う松村さん。“今”という瞬間が、自分とどう関わっていくか。ここに松村流の美意識があり、それが美術、芸術へと繋がっているのです。「大切なのは、『今』と自分がどう関わっていくかということ。いまを、現代をとらえていきたいんですよ。今の瞬間に考えたことを明日に繋げていきたい。」</p>
<p>　そんなわけで昔は、<br />「今、自分にとって仕事に行くよりこっちに行った方がいい!」と思い立ち、仕事をさぼり出かけてしまうことも多々あったとか!?いいんですかぁ!?でも松村さんだと、それが素敵な行動に思えるから不思議です。なぜかしら?(笑)その破天荒なキャラクターの奥に秘められている“いま”を愛し生きる姿勢は、何だかとっても大切なことを教えてくれている気がします。そうだよね、“今”なんだよね。いまを生きているんだもん!</p>
<p>　そして、松村さんの「今」を見つめる目は、館長をされている美術館にも注がれていました。福井市美術館では子供を対象にしたアートセミナーやワークショップが目白押し。 「美術館は子供に夢を与えるためにある。芸術家、学者、法律家。たくさんの可能性が子供にはある。だからこそ、出会いを多く与えてあげたい。」美術館での仕事に込められた想い。その土台にあるのは“文化”だと松村さんは語ります。 「心が豊かになるために文化があり、だからこそ夢を持って生きていけるんですよ。文化がなかったら、明日に対する夢が子供に伝わらない。土台になるのは、文化。その為に美術館があり、博物館があり、音楽堂があり、体育館があるんですよ。」 つまり、生きていくことの土台となるのが文化なのだと。土台に文化があり、心を豊かにしながら人生の足跡を残していく。これが、松村さんの生き方そのもの。 「それには『田舎』がいいんですよ。田舎にはそのままの自然があり、そのままの大地があるから。」</p>
<p>　海のそばで暮らし、三国で生きている松村さんにとって、自然に囲まれた田舎での暮らしは文化の発信地なのです。</p>
<h4>田舎には大地があるから</h4>
<p>　自然豊かな海のそばで大地を感じながら暮らしていると、大地の存在は大きな意味に気付きます。“大地”に話題が及ぶと話は相撲へと移り、テーブルで円を描きながら、相撲の土俵について面白い話を聞かせてくれました。 「相撲の土俵の円は、女性の子宮なんですよ。これが宇宙なんです。しかし古代の人、韓国の人は、この丸(土俵)より、もっと大きな宇宙があると考えた。それは外側の大きな四角で、これが大地。大地が宇宙を支えている。そして大地の四隅には、魔物が入って来ないように四天王が守っている。東西南北の角から魔物が入るのを防ぐために。」</p>
<p>　言葉に従って円を囲むように四角の線を引くと、あ、ほんとだ!相撲の土俵になっている!なるほど、相撲の土俵には、そんな意味があったのか!驚きです! 「そして(土俵周りの)藁は一年を表している。藁は一番早く腐り土に戻って、翌年には米になる。そのシンボルなんです。だから神社のしめ縄も藁なんですよ。この円の中で相撲を取るというのは、男達が大地を踏んで命を入れるということ。田舎には、この大地があるからいい。僕らは藁と一緒で、大地に帰っていくもの。やがて大地に戻るために大地を踏んで、そこから湧いてくる水を飲み、大地のものを体に入れて、大地と自分が一緒になる。田舎ならそれが出来る。特に雄島は、そういう意味でもいい場所です。」</p>
<h4>雄島は生きていくためのことを教えてくれる</h4>
<p>　「昔のまま、そのままの雄島を守っていく。そういう意味で僕は生まれてきているんだろうと思います。あの島で呼吸することが、自分にとって一番大切。雄島は生きていくためのことを教えてくれる。風が吹けば木が揺れる、その命の佇まいが素敵なんですよ。」 　人間の手によって作られたものではなく、ありのままの姿をした雄島は、いわば宇宙の縮小。人間も時を感じながら、雄島のような世界で生きていきたいと松村さんは語ります。そして広い海は心を和ませてくれ、季節感をどこよりも早く教えてくれるもの。その季節を運んでくれるものの一つは“風”なのだそう。</p>
<p>　「干し魚を食べると分かりますよ。」と松村さん。ん?どういうこと? 　海に浮かぶ雄島は、神の島と地元の人に崇められ愛され続けている素敵な島。今もなお原生林が残っていて、私にとっても大好きなお散歩コースだったりします♪すごく気持ちがいいの!そんな素敵な島を宮司として守っていくことは、松村のもう一つの大きな仕事。松村さんにとって雄島はどんな存在なんだろう?雄島について尋ねると、すぐに返ってきたのは、「あの島は無垢の島だから。」という言葉でした。無垢の島!すごくぴったり!</p>
<h4>風の味を食べる=風味、火は7人の友達</h4>
<p>　干し魚とは、魚を風にさらして作るもの。だから、地元で“あいの風”と呼ばれる冷たい風が吹く時は、“あいの風”の味になる。西風に吹かれた干し魚は、西風の味になる。つまり干し魚を食べるということは、『風の味』を無意識に味わっているということ。「風の味」、つまり「風味」とはそういうことなのだと。 「そうやって自然を楽しんでいくうちに、365日が流れていくんですよ。」</p>
<p>　海のそばでは、季節や時間によって様々な風が吹きます。この風が味をつけた干し魚をげんたつミュージアムの囲炉裏であぶり、季節を味わう。この空間は、人間に味をつけていく場所。地元の漁師さんも美術関係の人も、都会からも外国からも、様々な人が集い酒を酌み交わし、この場所でひとときを過ごすのです。 「皆がここに来て集まって、意味のないことを語り合って過ごせばいい。田舎にある空間だからこそ、本物の品のいい作品だけを飾っておきたいんです。」</p>
<p>　その言葉に頷きながらギャラリーをぐるりと見渡すと、青みを帯びた存在感のある大きな石が目に飛び込んできました。これは、えび漁の時に網に引っかかり上がってきた石を、漁船より譲り受けたものなのだそう。おそらく数千年もの間、深海の底に眠っていただろう石が、本物という言葉がふさわしい美術作品と並んで飾られていました。その石の美しさに、思わずうっとり。都会にはない、田舎だからこその時間が、ここには流れています。 「都会で出来ることは都会に任せておけばいい。田舎に居を構えながら、世界中の人と出会うこともできる。そして都会の人がここを訪れた時、彼等を癒してあげたい。その場所が必要だし、その場所の一つが三国であり雄島なのだろうと思います。」</p>
<p>　そう話しながら、まだ火が焚かれていない囲炉裏に目をやると、松村さんは穏やかに笑いました。 「火を見ながら過ごすことは、友達が七人と一緒に過ごすのと同じようなものなんですよ。」 火を見ていると飽きないもの。火は話し相手になり、優しい友になり、時には激しく怒る友となる。それはまるで、七人の友達と一緒に過ごしているようなもの。そんな柔らかな囲炉裏の火を眺めながら魚をあぶり、酒を酌み交わし、季節を楽しむ。人や美しさや瞬間に出会いながら、時間を重ねて生きていく。他のどこにもない、雄島の近くだからこその時の流れが、ここには確かにありました。大きく優しく強くて美しいものが、ここに詰まっている。そう言えば私、初めてここを訪れた時、なぜだかウルウルしちゃったなぁ。不思議な懐かしさと安心感に満たされて、ウキウキした予感に包まれたっけ。松村さんのお話を聞いて、その理由がなんとなく分かった気がしました♪</p>
<p>　「さて、そろそろ…。」 とても面白い話に聞き入っていたら、アッっという間に時間が過ぎていました。気が付けば、松村さんが美術館へと出かける時間。「いってらっしゃいませ!」と見送らせて頂きました。その後、私が海の近くをお散歩したのは、言うまでもありません。それにしても、第一回目からこんなに魅力的な人に出会っちゃうなんて。三国って、面白いかも!</p>
</div>
</div>
<div class="block-color">
<p><strong>松村忠祀(まつむらただのり)さんプロフィール</strong></p>
<p>大湊神社宮司。<br />福井県三国町出身。国学院大学文学部神道学科卒業。京都府上加茂神社に出仕。福井県立図書館司書、福井県立岡島記念美術館学芸員、福井県教育庁文化財調査員、福井県立美術館学芸員、同学芸課長を経て1997年より福井市立美術館館長。三国町雄島神社の宮司。</p>
</div>
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